祈 り
横浜は坂の多い町である。
私の育った盲施設、横浜訓盲学院も小高い山の上にあった。寝起きする家も、勉強する教室も、グラウンドもすべて斜面に面しているので見えない私たちの移動はちょっとしたスリルがあった。雨の日や凍えるような冬の日は泣きたいくらいだったが、みんな弱音をはかなかった。
高校2年生の5月、知らない人から手紙が届いた。
「私は訓盲学院のハーモニカバンドのファンです。坂井さんがフルートを欲しがっていると聞きましたので贈ります」要約するとこのような内容だった。
「知らない人が僕にフルートをくれる…」。驚き、喜び、不安の入り混じった気持ちのまま日が過ぎていった。
6月のある日、教室で勉強していたら楽器店の人がやってきて僕の手にフルートを持たせてくれた。あんなに欲しかったフルート触ってみたかったフルート。うれしくて言葉もなく、息をのんだ。
3歳の時から暮らした訓盲院で教えられた「祈り」に反発したこともあったが、いつの間にか私は祈っていた。 変えられない自分の状況をあきらめていたはずなのにフルートへの憧れは祈りに変っていた。
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