あしながおじさん
私は3歳から大人になるまで訓盲学院で育てられた。人は私の生い立ちを知ると気の毒に思ってくれる。確かに私自身も「目が見えないこと」「迎えに来てくれる家族が無いこと」「笛を買う金が無いこと」「足が短いこと」を、不幸だと思ったことがあった。しかし、大人になって私は随分恵まれていると気がついた。
まず、終戦後、食糧難の時代に衣食住の心配をせずに過ごすことが出来た。クリスマスには米軍兵やアメリカンスクールの子供達がお菓子やおもちゃをもって来てくれた。私にとっては母親だった先生から毎晩ワクワクしながら本を読んでもらった。学校のハーモニカバンドのメンバーとして、あちらこちらに演奏旅行をさせてもらった。そして、苦しい程に欲しかったフルートを初めて手にしたのも学院だった。未だ名前は明かされていないが、僕にフルートを贈ってくださった人は、たぶん担任の先生とその他数名の先生だったと思う。
最近、「坂井さんの笛の音はあたたかいですね」と言われる時、いつも私のそばで見守っていてくださった、あの頃の人々のことを想い出す。こんな風に私の周りには何人ものあしながおじさんがいた。だから、その人達のあたたかい心を笛の音にのせ、今度は自分があしながおじさんになりたいと思う。
ありがたいことに、大人になってからも、いろいろなあしながおじさんが現れ、私や家族をあたたかく包んでくれる。
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