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掲載日: 2012.01.24

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船大工 松井 光照さん (大津市在住 31歳)

松井さんは大津市本堅田にある松井造船所の3代目。松井造船所の創業者である祖父の故・三四郎さんの後を継ぎ、父の三男さんと共に、今では造られることが少なくなった琵琶湖特有の木造船「丸子船」の伝統を守り続けている。

江戸時代以来の湖上交通の主役

丸子船は、主に江戸時代に湖上交通の手段として使われていた木造船。重木と言われる、丸太を半分に割った木を両側面に付けて浮力とバランスを保ち、水深が浅いところでも航行できるようになっている。重いものを載せても沈まないよう、底は浅くなっている。
昔は1000隻以上の丸子船が湖上を行き交っていたが、今では1隻も見られなくなっている。堅田には何十軒も造船所があったが、今では木造船を造っているのは松井造船所だけだ。

サラリーマンから船大工に

子どものころから祖父や父が船を造る姿を見て育ち、自身も物を作ることが大好きだった。だから、いつしか後を継ぎたいと思うようになっていた。だが、「木造船造りは仕事が減っているし、生活も厳しい」と親から反対されてきた。大学卒業後、東京で不動産会社に就職したものの、松井さんの秘めた思いは変わらなかった。
子どものころに見た、帆に風を受けて湖上を滑る丸子船の姿が忘れられない。このままでは祖父や父が守ってきた丸子船の伝統がなくなってしまう……。この思いを両親に打ち明け、粘り強く説得。1年間東京で働いた後、滋賀に戻って造船を学ぶことになった。
祖父は特に反対はしなかったが、祖父と一緒に仕事ができたのは1年ほどだった。指導というよりは、じっとそばで見ていて教えてくれた。その目が忘れられないという。
三男さんは「最初のうちは反対でしたが、一緒にやるようになって1人でできないこともできるようになり、今は心強く思っています」という。
昔は造船の技術を盗まれないように図面は書かなかった。だから今回も、自分の目で見て仕事を覚えるように仕込まれた。
初めて造ったのは京都迎賓館に納める川舟だった。祖父や父の指導を受けながら3人で全長5㍍の川舟を造り上げた(05年)。これとは別だが、琵琶湖博物館に展示されている全長17㍍の丸子船も松井造船所で造られたものだという。

部品や道具も手作り

木造船の注文は今、年に1~2隻。木造船造りに必要な船釘などの特殊な部品も作るしかなく、木を削るカンナさえも手作りだ。
さらに、木造船だけではやりくりできず、鉄製の船の修理をすることも多く、神社の鳥居の修理や水車造りなども手がけている。
「日本の風景に合うのは木造船です。
近江八幡の水郷めぐりなどで、風情ある丸子船に乗ってのんびりと揺られてみたいですね」と言う。
祖父の三四郎さんは生前、数多くの木造船の模型を残しているので今、大津市伊香立にある安曇川流域・森と家作りの会のモデルハウス「もりいえ」で、この木造船の模型を展示する計画が進められている。
(取材・澤井)

 

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