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掲載日: 2012.07.17

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正藍染職人 植西 恒夫さん(湖南市在住・77歳)

正藍染職人の植西恒夫さんは江戸中期創業の「紺喜染織」六代目で、この道60年の達人。その「正藍染・近江木綿」の作品は滋賀の伝統工芸品に選定されている。だが、残念ながら後継者はおらず、「藍染めの素晴らしさを少しでも多くの人に知ってもらいたい」という思いを胸にひたすら仕事に励んでいる。

「求められるもの」を求める人に…

「私は、親から引き継いだ仕事を家族の生活を守るために続けてきただけです。伝統という言葉は後からついてきたに過ぎません」と、植西さん。滋賀が誇る伝統の染織技法「正藍染・近江木綿」を今に伝える最後の一人で、1997年に「日本民芸公募展」の「内閣総理大臣賞」を受賞している。それにもかかわらず、気負いを感じさせるところは全くない。
18歳で家業の藍染めの仕事を始めたときもそうだった。伝統を受け継ぐとか、染めが好きだとかでなく、家業は長男が継ぐものと覚悟を決め、当たり前と思ってやってきた。
一昔前まで「正藍染・近江木綿」は滋賀の特産として隆盛を極めていたが、今では需要が激減。一時期、後継者として弟子入りを志願する人もいたようだが難しかった。
「体力が続く限り、少しでも多くの人に藍染めの素晴らしさを知ってもらうのが自分の使命だと思っています」と、静かに語る。
染織品も陶磁器や家具などと同様に暮らしの道具である。道具は必要に応じて生まれ、必要がなくなれば消えていく。無理に続ける必要はない……。終わり方も自然体で、美しくさえある。

「藍の栽培」「染め」「織り」まで

「正藍染・近江木綿」の起源は、植西家の初代が四国から持ち帰った藍の種にあった。種を地元で栽培してみたところ意外にも出来栄えが良く、これに阿波藍を混合発酵させて染めた生地は、光沢と丈夫さに優れ、全国に知られるようになったという。
仕事は藍の栽培に始まり、その「発酵」「染色」「織り」まで、全てにわたる。
春に種をまき、初夏から秋にかけて刈り取り、天日干しで乾燥させる。さらに、これをムロで約100日間発酵させ、大きなつぼに入れて石灰、フスマ(小麦のかす)、あくで再発酵させながら染め液を作っていく。染め液の温度や濃度は色合いを大きく左右する。長年の経験と勘だけが頼りだ。
大正時代までは、どの家庭にも織機があり、紺屋に染めさせた糸を手織りして布生地を作っていたのだ。

時の流れと共に…

昔の藍染めの柄は濃い紺の部分が多かったが、時代と共に淡い色が求められるようになった。だから、その変化に対応するべく、昔ながらのやり方を守りつつも、変えるべきところは変えてきた。
一方、最近は染め体験の希望者が増えてきている。伝統産業を守ろうとする時代の流れとともに、主婦層を中心に、オリジナルな作品を作りたいと思う人が増えているのだ。
自宅で自然藍を使って染めることもできるが、濃い色を出すのは難しく、淡い色にしか染まらない。濃い色を出すには、紺屋に頼むしかない。Tシャツやハンカチなど比較的簡単なものから、糸を染める本格的なものまで要求はさまざまだ。
最近は校外学習で小学生や中学生も来るという。
「染め体験を通していろいろな人と出会えるのがうれしいですね。毎朝、通学路に立ち、子どもたちとあいさつを交わすのも日課になっています。このあいさつは孫が小学生だったころから始めて、もう9年になります。子どもたちから元気をもらっています」
(取材:福本)

 

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