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掲載日: 2014.11.4

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MIHO MUSEUM 館長・東京大学名誉教授 
辻 惟雄さん(82歳)

岩佐又兵衛(いわさまたべえ・1578~1650)や伊藤若冲(いとうじゃくちゅう・1716~1800)ら異色の画家を再評価し、「奇想絵画ブーム」を巻き起こした美術史家の辻惟雄(つじのぶお)さん。日本絵画は花鳥風月を優雅にめでるもの――、そんな固定観念を打ち破る研究の成果は、人生の中で「出合い」を楽しむ遊び心から生み出されたものだった。

医師志望から美術史家へ

辻さんは元々医者志望だったが、発疹チフスで入院中に見た不思議な光景が転機になった。 「窓から差し込む光線がやけに美しく、眼前の風景がこれまでと全く違うものに見えたのです」 美への関心が高まり、東大文学部美学美術史学科へ進んだ。 「この体験がなければ、どこかの医大にもぐり込んで平凡な医師になり、稼いだお金で好きな絵を買い集める人生を送っていたかもしれませんね」 大学院での研究テーマは、江戸時代初期の絵師・岩佐又兵衛。自分で見つけたのではなく指導教授の勧めによるものだったが、血みどろの絵巻に一気にのめり込んでしまったという。 「『山中常盤(やまなかときわ)物語絵巻』の斬り合う武将や転がる首など血なまぐさい描写に、しばらく弁当のおかずのシャケの切り身が喉を通らなくなりました」 その後、東京国立文化財研究所の美術部技官に就任。又兵衛のような絵師を求めて研究を進め、江戸時代中期の絵師・伊藤若冲を探し当てた。 米国人美術収集家、ジョー・プライス氏が若冲の絵を買い集めていると聞き、1日だけコレクションを見せてもらうことになった。奇抜な構図、密度の高い画面。写実と想像とが融合した奇想の世界に圧倒された。これを機に曾我蕭白(そがしょうはく)、狩野山雪(かのうさんせつ)、歌川国芳(うたがわくによし)など、それまで際物(きわもの)扱いされてきた絵師に夢中になり、彼らをまとめて1970年「奇想の系譜 又兵衛― 国芳」として出版。流派の系譜ではなく、表現の系譜に着目した画期的な美術史の論考だった。

日本文化の本質は「遊び」

「象と鯨図屏風」右隻 伊藤若冲筆

奇想の中に日本文化の本質があると気付いたのは40代、東北大学教授時代にオランダの歴史家・ホイジンガの「人は遊ぶ存在である」という思想に出合ってからのことだった。 「万物は単に遊びにすぎず、武士道もまた遊び心の領域の中で展開され、戦場は武将が神の前で武勲を競い合う命がけの遊びである」。これが日本人の「浮世感」につながっているという。 元々、「憂(う)き世」だったものが、江戸時代以降は「浮世」と表現され、「人生はかりそめの夢のようなもの。せっかくだから浮いて楽しもう(遊ぼう)」へとつながり、遊び心で生きるのが日本文化の神髄となったというのだ。

ユニークな出合い楽しむ

「象と鯨図屏風」左隻 伊藤若冲筆

その後、歌舞伎研究家の服部幸男(はっとりゆきお)さんのエッセイと出合い、平安王朝文化や桃山文化などの装飾的な美に見られる「飾り」の概念を発表。さらに、60代、日本文化研究センター時代には無生物を含めて全てに霊魂が宿っているとする考え方も発表した。 「私は受け身の人間ですが、なぜか次々とユニークな出合いがあり、それを面白がって楽しんだ結果がこのありさまです」 今でもUFOや面白いこと、不思議なことが大好きで、心は少年そのもの。 人生を楽しみ尽くす「浮世を遊ぶ美術史家」だ。 (取材・越智田)

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