株式会社たねや社長山本徳次さん(67歳)
先ごろ、厚生労働省から「現代の名工」に選ばれた株式会社たねやの山本徳次社長が今週の素敵な人。全国の百貨店などに32店舗、従業員約1,800人を擁する(株)たねやの頂点に立つ山本徳次さんに子どものころのお話などを伺った。
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先ごろ、厚生労働省から「現代の名工」に選ばれた株式会社たねやの山本徳次社長が今週の素敵な人。全国の百貨店などに32店舗、従業員約1,800人を擁する(株)たねやの頂点に立つ山本徳次さんに子どものころのお話などを伺った。
子どものころからモノ作り大好き人間だった山本さんにはエピソードが多い。例えば、小学校のとき、模型の船を作ったが、これを浮かべる水槽がなかった。そこで家の裏に流れる小川をせき止めようと、畑の土を投げ込んだ。ところが、川の水があふれだし、家に水が流れ込んできて大騒ぎになった。「おもちゃがなかったから自分で作るしかありませんでした。近所の年長者が小さな子どもにモノ作りを教えました。これこそが開発力」と懐かしさに目を細める。
八幡商業高校を卒業するとき、進路に迷った。しかし最終的に「君はサラリーマンの枠の中でやれるのか?」と人から言われ、家業を継いで菓子職人になることを決心した。
30歳を過ぎたころ、近江八幡の駅前通りに出店計画をした。それまでの住居兼用の店舗をいきなり鉄筋4階建てにする計画だったので金融機関も周囲も驚いた。しかし、信用金庫の理事長に何度も夢を語り、融資を取り付けた。店は大繁盛し、その勢いで大津の西武百貨店に出店した。だが、売れなかった。撤退を考えて商品を減らし始めたころに売れ出したのは、たねやの定番商品の最中と栗饅頭だった。このとき、新商品の開発にも力を入れないとダメだということを思い知ったという。
その後はデパートからの出店を頑固なまでに断った。だが、大阪の三越から出店依頼があったとき、あろうことか「東京の日本橋三越なら……」と、つい口を滑らせてしまった。そして、今度は商品開発を徹底的にやりつくして出店した。結果、その年のたねやの売り上げは倍増。西武百貨店の経験が役立ったのである。
山本さんが30代半ばのとき、人生観を変える大きな出合いがあった。それは京都の街角演劇集団、長田学舎との出合いだった。「芸の前に人をつくる」「人ができていないと芸はできない」菓子作りも同じだと共感し、教えを請いに長田純先生に会いに行った。何回か通ううちに、「よーし、分かった。お前の望み、かなえてやろう」と言われ意気投合。以来、長田学舎との交流は今でも続いている。
モノ作り大好き人間の山本さんは、デザインや文化に強い一方、無線やコンピューターなど、文明の利器にも強い。だから、ネット販売の取り組みも早かった。現在、売り上げは前年比5割アップの勢いで成長している。秘訣は? と聞くと、「ネットだけではダメです。実店舗と両輪でなければ……そして、ネットならではの特徴を出すことです」。実店舗は季節感が大切なので冬に水羊羹は売れないが、「ネットなら売れる」という説明には、説得力があった。
「これからのたねやは進化の中に深化を追及していくことが大切」という言葉に大きな感銘を受けて、インタービューを終えた。
(取材・山田、白崎)
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