彦根りんごを復活する会の皆さん
すでに絶滅していた「彦根りんご」をもう一度復活させるため、リンゴ園を作り、リンゴの栽培に情熱を注ぐ「彦根りんごを復活する会」の皆さんが今回の素敵な人。彦根市西今町にあるリンゴ園でお話を伺った。
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すでに絶滅していた「彦根りんご」をもう一度復活させるため、リンゴ園を作り、リンゴの栽培に情熱を注ぐ「彦根りんごを復活する会」の皆さんが今回の素敵な人。彦根市西今町にあるリンゴ園でお話を伺った。
彦根りんごは和リンゴの一種で、江戸時代から昭和にかけて彦根市で栽培されていた。形はやや扁平で、直径4~5㌢と、西洋リンゴに比べるととても小さい。収穫が8月ということもあり、昔はお盆のお供え物として欠かせないものだったが、昭和初期に東北地方や長野県などで西洋リンゴが盛んに栽培され、彦根りんごは徐々に姿を消していった。
歴史ある彦根りんごを復活させようと、現会長の尾本正和さんを中心に30人の会員が集まり、03(平成15)年6月「彦根りんごを復活する会」が結成された。過去に同様の活動が行われていたが成功しなかったことや、リンゴの木が育つのに時間がかかることなど、不安を抱えてのスタートだった。活動するうち、少しずついろいろなことが分かってきた。彦根りんごは1種類ではない▽彦根市内の数カ所で栽培されていた▽リンゴの木が1本も残っておらず、唯一の手がかりは岡島徹州画伯が描いた「彦根りんご図」―など。
そんな状況の中で、岩手県や青森県、石川県、長野県などの、農業研究機関へ何度も足を運び、リンゴの花や果実の撮影、収穫など調査を続けた。彦根りんごの可能性がある和リンゴの原種約10種類の枝を手に入れ、枝を台木に接ぎ木した。「彦根りんご図」に最も近いものを「彦根りんご」と決定し、「平成の彦根りんご」と名づけた。「1本でも木が残っていたら、もっと楽だったと思います。でも、リンゴを通してたくさんの友人ができたし、輪が広がりました」と尾本さん。苗木を植え、水をやり、施肥、害虫の駆除などの作業を根気よく続けた結果、苗木が順調に生育し、活動開始から3年後、見事、実がついた。「1つでも実がなればうれしいという人たちの集まりでしたから、大きな成功でした」と誇らしげな尾本さん。現在、会員は50人。リンゴの花見や収穫祭、寺社にりんごを奉納するなど、さまざまな活動を行っている。今後の課題は、彦根りんごを使った商品開発だ。
当面の目標は、16(平成28)年に「まぼろしの彦根りんご復活祭」を開催すること。彦根りんごが1816(文化13)年、武士の石居泰次郎により彦根にリンゴの苗木200本が植えられ、農園を作ったのが始まりとされていることにちなんで、このイベントを成功させたいと願っている。現在、200年祭に向けて200本のリンゴの木のオーナーを募集中。さらに全国組織として「日本ワリンゴの会」を結成し、農業政策、果樹政策の向上にも努めたいと話す。「先祖が残してきた歴史や文化を大切にし、次の世代に託していきたい」と会員たちの夢は膨らむ。平成の彦根りんごが大きく育ち、将来、彦根の名産や誇りとして受け継がれていくことを楽しみにしている。
(取材・澤井)
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