県障害者スポーツ協会理事 原 陽一さん(46歳・栗東市在住)
幼いころに右脚を失いながらも水泳選手として活躍、後に指導者として障害者スポーツの発展に寄与し、障害者の自立と社会参加にも力を尽くす原陽一さん。
幅広い活躍が評価され、障害者福祉に貢献した個人に贈られる「糸賀一雄記念奨励賞」の最初の受賞者に選ばれた。
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幼いころに右脚を失いながらも水泳選手として活躍、後に指導者として障害者スポーツの発展に寄与し、障害者の自立と社会参加にも力を尽くす原陽一さん。
幅広い活躍が評価され、障害者福祉に貢献した個人に贈られる「糸賀一雄記念奨励賞」の最初の受賞者に選ばれた。
原さんは6歳のときに骨肉腫で右足大腿部を切断した。だが、体を動かすことが好きで、義足をつけて野球にソフトボールにとやんちゃな子ども時代を過ごした。小学校高学年からは水泳も始め、中学、高校と水泳部で活躍した。
高校3年の81(昭和56)年、「全国身体障害者スポーツ大会(びわこ大会)」に出場したことが人生に大きな影響を与えた。
真剣に競い合う障害者の仲間の姿を見て、与えられた身体機能は限られていても、少しでも高みに到達しようとする共通の意識を感じた。
大会を支えるスタッフの姿にも感動した。1人でするスポーツもいいが、共に競い合い支え合う障害者スポーツは、人と人とのつながりや仲間がいることのすばらしさなど、たくさんの“人生の宝物”に気付かされ、多くの人に伝えたいと感じた。
翌年のアジア大会(第3回極東南太平洋身体障害者スポーツ大会)出場と、84(昭和59)年に21歳で参加した米国での「国際身体障害者スポーツ大会」という2回の国際大会を通し、障害者スポーツを広めたいと、確信していった。
選手を退いた後も、選手のサポート役になり、88(昭和63)年から、全国身体障害者スポーツ大会・全国障害者スポーツ大会に滋賀県選手団のコーチ・監督・総監督として参加した。
明るい性格の原さんは選手団のムードメーカーになった。独特の緊張感が漂う大会会場では選手の緊張をほぐすためマッサージをしたこともあった。
同時に、滋賀県障害者スポーツ協会指導員、日本障害者スポーツ協会指導員の資格を取得し、選手を指導するスタッフの育成にも力を入れた。
活動はスポーツ分野にとどまらず、「栗東市身体障害者更生会」で身体障害者福祉の向上と社会参加のための事業活動にも力を注いだ。
99年度からは「財団法人滋賀県身体障害者福祉協会」の青年部副部長として、障害者スポーツと社会参加活動とのパイプ役も務めた。07年度からは同福祉協会の評議員として、障害者の自立と社会参加に取り組む。
一連の活動が認められ、昨年11月、障害者福祉の分野で顕著な活躍をしている個人を表彰する「糸賀一雄記念奨励賞」(第1回)に選ばれた。
平日は栗東市役所勤務の公務員、休日には障害者スポーツ協会の活動をこなすハードな毎日だが、仲間や生き生きと頑張る選手たちの姿を見ると疲れは全く感じないという。
(取材・鋒山)
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