滋賀職業能力開発短期大学校(ポリテクカレッジ滋賀) 地域連携室 室長・教授 木戸 規雄さん
オーストラリア北部ダーウィンから南部アデレードまで、豪大陸を縦断する3000㌔のソーラーカーレース「ワールド・ソーラー・チャレンジ」に約10年前、大会史上初めて、完全に手作りのソーラーカーとして出場、完走して注目を集めた車がある。その製作に学生とともに取り組んだ滋賀職業能力開発短期大学校(ポリテクカレッジ滋賀)の教授、木戸規雄さんが今回の「素敵な人」。
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オーストラリア北部ダーウィンから南部アデレードまで、豪大陸を縦断する3000㌔のソーラーカーレース「ワールド・ソーラー・チャレンジ」に約10年前、大会史上初めて、完全に手作りのソーラーカーとして出場、完走して注目を集めた車がある。その製作に学生とともに取り組んだ滋賀職業能力開発短期大学校(ポリテクカレッジ滋賀)の教授、木戸規雄さんが今回の「素敵な人」。
木戸さんが同校の電子技術科の先生になったのは今から18年前。そのとき「今まで自分がやってきた電子回路の研究はすでに多くの人がやっている。何か別のことをやりたい」と心を新たにした。
学生と一緒に夢を追いかけ、思いきり打ち込めることをやろうと決心し、テーマを自然エネルギーに絞り込んだ。「車なら学生も興味を持つに違いない」と、ラジコンソーラーカーの製作に踏み出した。
当時、他校で作られていたソーラーカーは既製の部品を使ったものが大半だったが、木戸さんと学生たちは制御回路や車のボディも全て自作した。その半年後には、実際に人が乗れるソーラーカー作りに挑戦。国内のレースにも出場した。
94(平成6)年、世界的に有名な「ワールド・ソーラー・チャレンジ」(09年から「グローバル・グリーン・チャレンジ」に名称変更)をビデオで見て、大きな衝撃を受けた。オーストラリア大陸を10日間で縦断する過酷なレースだったが、木戸さんらは、ぜひとも出場したいと心を熱くした。
以後、明けても暮れてもソーラーカー作りに励み、必要な技術を持つ企業に体当たりで協力を依頼し、時には作業場所を借りることさえあった。
チームのメンバーは約30人。中には製作期間の途中で卒業を迎える者もいたが、彼らは毎週のように学校に集まり、協力を惜しまなかった。
99(平成11)年10月、木戸さんらは多くの人々の寄付と協力を得て念願のレースに出場した。レース中、車軸が折れるという最悪の事態に遭遇したが、幸い地元の人達の協力を得てこのピンチを切り抜けた。好天に恵まれ、レース最終日の10日目、40チーム中28位でゴールした。
「完走したときは本当にうれしく思いました。そのときは、既に卒業していた学生も、このゴールこそが自分たちの卒業だと言って喜んでくれました」
「私も学生も、本当に貴重な体験をさせてもらいました」と当時を振り返る木戸さんは、レースの後、協力してくれた人々や企業に恩返しをしたいと考え、自分たちが得たノウハウを惜しみなく提供。「ソーラー和船」や「風力発電機」を作ったり、講演会を開いたりしていった。
木戸さんは、現在も同校の産学連携のアドバイザーとして活躍を続けている。
「研究やもの作りは身近な気づきから始まります。これからも自分が身に着けた技術を生かし、環境に貢献していきます」と、笑顔をみせた。(取材・木俣)
※ポリテクカレッジ…厚生労働省所管の職業能力開発大学校・職業能力開発短期学校のこと。高度技能者の養成を目的とし、1970年代から1990年代にかけて全国に設置された。
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