ホッケー日本代表 聖泉大学男子ホッケー部監督 山堀 貴彦さん(36歳)
ホッケー日本代表の主力選手として第一線で活躍を続け、五輪出場に3度挑戦するも敗れ引退。しかし、昨年11月のアジア競技大会で五輪出場権獲得を目指す日本代表に2年ぶりに復帰、代表と監督の2役をこなしながら夢を追い続ける山堀さんの姿は周囲に力を与えてくれる。
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ホッケー日本代表の主力選手として第一線で活躍を続け、五輪出場に3度挑戦するも敗れ引退。しかし、昨年11月のアジア競技大会で五輪出場権獲得を目指す日本代表に2年ぶりに復帰、代表と監督の2役をこなしながら夢を追い続ける山堀さんの姿は周囲に力を与えてくれる。
山堀さんの地元、旧伊吹町は国体でホッケー会場になったことを機に選手強化に取り組み、日本代表選手を何人も輩出してきた「ホッケーの町」だ。山堀さんも10歳からホッケーを始め、中学・高校で活躍した後、強豪天理大学へ進学した。
この頃からポイントゲッターとして頭角を現し、関西学生ホッケー最優秀選手、得点王などのタイトルを毎年獲得。大学4年で日本代表に選ばれた。卒業後も実業団の「表示灯ホッケーチーム」(名古屋市)=現「名古屋フラーテルホッケーチーム」=に入り、日本ホッケー界を背負い走り続けてきた。
しかし、そんな山堀さんがどうしても果たせなかった夢がある。大学へ入学した頃から明確に意識するようになった五輪出場の夢である。
00(平成12)年、26歳で迎えたシドニー五輪最終予選はマレーシアと最後の出場枠を争い1-2で逆転負け。あと一歩が及ばず悔しい思いをした。
「史上最強のチームと言われ注目も高かっただけに、このときの悔しさは今でも忘れられません」
悔しさを胸に日本代表の主将としてチームを引っ張っりながら迎えた4年後のアテネ五輪最終予選、さらには8年後の北京五輪最終予選も惜敗が続き出場を逃した。
このとき34歳。ホッケー選手の平均寿命は30歳と言われるだけに、もうやりきったと感じて引退、故郷滋賀の聖泉大学男子ホッケー部の監督に就任して後進の指導に当たることにした。09(平成21)年のことだった。
ところが、翌年10月、創部したばかりのホッケー部を盛り上げようと奮闘する山堀さんのもとに日本協会から日本代表への復帰要請が届いた。
受け持ちの授業や慕ってくれる部員を放り出すこともできず、大いに悩んだ。しかし、日本代表のオランダ人のアイクマン監督は世界を知る監督。その人の下でもう一度夢にチャレンジしてみたい。そんな思いを抱えていると部員たちが「自分たちは大丈夫なので行ってください」と背中を押してくれた。
代表メンバーの中にはひとまわり以上も歳の離れたメンバーもいる。最年長の自分が挑戦し続ける姿を見せ、これまでの経験を若手に伝えることも使命の一つだと考えて復帰を承諾。アジア大会に向けた200日の合宿に参加、激しいトレーニングにも耐えた。休日には滋賀に戻り部員の指導にも当たった。
結果は残念ながら6位。だが、山堀さんの挑戦は終わらない。12(平成24)年4月に岐阜・各務原で開催されるロンドン五輪最終予選突破に向けて再びチャレンジを開始した。
「アジア競技大会ではメンタル面の準備不足を感じました。今まで自分が経験してきたことをもっと積極的に若手に伝え、ぜひとも日本の五輪出場を実現したいですね。そうすることで多くの人にホッケーの魅力を知ってもらえますから」。山堀さんの挑戦は続く。
(取材・福本)
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