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掲載日: 2011.03.15

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滋賀県ハンドボール協会・理事長 和三(なごみ)整体院院長 前川 和三さん (彦根市在住・63歳)

多くの若い人たちにハンドボールの魅力を広めている前川和三さん。
大学時代はけがをきっかけにプレーヤーの夢をあきらめたが、社会人になって、指導者としての才能を花開かせた。

人生を変えた「けが」

たった1回の「けが」が人生を変えた。大学入学早々、体操をしていて首を骨折した。
高校でハンドボールの面白さに目覚めて、強豪である日本体育大学でプレーヤーとして活躍しようと希望に満ちあふれていた時だった。選手の道をあきらめ、マネジャー役で過ごさざるを得なかった。けがをしなければ、スター選手として脚光を浴びたかもしれないが、数多くの生徒や子どもたちにハンドボールの面白さを伝える現在の活動にはつながっていないかもしれない。

荒れ地からコートを手作り

きっかけは、卒業後の71(昭和46)年夏、高校の常勤講師として能登川高校へ赴任、ハンドボールをやりたい生徒と偶然出会ったことだった。部もなければコートもなかったが、創部して、生徒たちと一緒にグラウンドの外の荒れ地を整地してコートを手作りした。
ところがその後、教員採用試験に合格、米原高校への赴任の辞令が出た。苦労してクラブを作り、チームの実力もぐんぐん伸び始めた時期に教え子たちと別れなければならなかった。
翌年4月から赴任した米原高校でもハンドボール部を創部した。最初はバドミントン部の顧問をやりながら、部員になりそうな生徒を探した。
「先生、おれハンドボールをやってみたい」。最初に言い出したのは、いわゆる“優等生路線からはみ出た”生徒だった。「よっしゃ。それなら7人集めてこい」
夏休み前に“7人の侍”がそろい、活動を開始した。ここでも練習場所がなく、まずはプール裏のゴミ捨て場で練習を開始した。アメフト同好会が練習場所にしていた空き地を勝手にコートにしてしまい、抗議を受けて、グラウンドで夜の9時まで“団交”に及んだこともある。練習日を分けて共有することで話がついた。赴任2年目には女子ハンドボール部も誕生、顧問を兼任して、創部3年目に県大会で優勝した。

「文武両道」を大切に

だが、米原高校も“長居”できなかった。数年後の滋賀国体に向け、強化担当者として白羽の矢が立った。
76(昭和51)年、彦根南高校へ転任、女子ハンドボール部を担当して国体に備えた。成果が実り81(昭和56)年の滋賀国体で準優勝した。以後、近畿大会で優勝2回、インターハイ出場21回、春の選抜大会出場は16回を数えた。国体にも数回出場して、準優勝2回の快挙を成し遂げた。
その後、八日市高校へ転任、ここでも部を作るなど、行く先々で一から基盤を作ってはハンドボールの指導にまい進した。「自分がけがで果たせなかった選手としての活躍を、若い人に体験してほしい……。そんな思いも原動力の一つになっています」と、前川さん。
指導の基本は「仲間との融和精神」「文武両道の精神」「感謝の気持ち」だ。そのために勉強合宿もやった。特に国体直前の彦根南高校時代は週2回合宿、そのうち1回は勉強のためだった。
昨年3月に教員を退職、現在は新たな整膚学を取り入れた整体院を営んでいる。
また、12年前に地域の子どもたちを対象に開いたハンドボール教室の指導にも当たり、たくさんの生き生きした子どもたちの顔に囲まれている。
(取材・越智田)

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