(株)平和堂 社長 夏原 平和さん(彦根市・68歳)
滋賀県内79店舗のほか、県外や中国でも店舗を展開するスーパーの平和堂。その経営姿勢はどこまでも謙虚でユニークだ。たとえば社内では「売上高」のことを「ご奉仕高」、「粗利益高」のことを「創造高」と呼び、創業以来「奉仕の精神」を大切にしている。
教育や文化などの分野への活動を助成する平和堂財団もその一つ。
夏原平和(なつはらひらかず)社長が理事長を務めるこの財団内に最近、環境活動助成制度「夏原グラント」が創設された。
環境活動を熱心に行なうボランティアグループを支援するのが目的だ。
心のよりどころも大切な環境
白鳥川の景観をよくする会
トチノキと巨木の分布および成育調査とマップの作成
夏原グラントが支援するのは「環境に関係した社会活動」だが、歴史や地域文化など、社会的観点も幅広く加味している点がユニークだ。
たとえば高島市の「トチノキの巨木を守る活動」や、「湖北の古民家の再生活動」など、昨年21団体、今年は37団体のボランティア活動をサポートしている。今年度の支援総額は約1,200万円に及ぶ。
「どうすれば人に尽くせるか」
夏原社長の父・平次郎(へいじろう)さんは元々、農業を営んでいたが、戦争で厳しい兵役を体験した。そして心の底から平和を願い、生まれてきた子どもの名前を平和(ひらかず)とした。さらに、その後設立した会社の名前も「平和堂(へいわどう)」と名付けたのである。
平次郎さんは戦後、旧満州(現中国東北部)から引き揚げてきた人のために商いの場を作ろうと、戦時中、軍需工場になっていた彦根市土橋商店街(現在の銀座商店街)のマルビシ百貨店の営業再開に東奔西走した。そのとき、出店予定者の一人だった老人が、平次郎さんの頑張る姿を見て「私はもう歳だから商売をやめたい。私の店はあなたにやってもらいたい」と経営する「靴とかばんの店」を平次郎さんに譲ってくれた。これが今の平和堂のルーツだそうだ。
その後、1957年に「靴とカバンの店・平和堂」として独自に店を構え、以後、「化粧品とアクセサリーの店」「寝具の店」「衣料品専門の店」など次々と商売の手を広げていった。63年にこれらを統合して「ジュニアデパート平和堂」と改組した。
店が順調に成長したのは「どんな品ぞろえならお客様が喜んでくれるかを考え、それを具体化していくことが社会への奉仕である」
との信念を貫き、頑張ってきたからだと夏原社長は言う。
習うよりも慣れろ
子どものころ、夏原さんはとても恥ずかしがり屋だったという。それが、店を手伝うようになって、人に接する機会が増えていくうちにいつの間にか対人恐怖症が吹っ飛んでしまった。
彦根東高校時代には勉強よりも商売の方が好きになり、さらに同志社大学に通うころにはすっかり度胸が据わった。そして、4回生のときにはシベリア鉄道でソ連からヨーロッパに入り、トルコ、タイ……と5カ月間も一人旅をやり遂げた。
まさに、「習うよりも慣れろ」とはこのことだろう。
会社は社会と、一心同体
小学校でのイチモンジタナゴの放流式
はしかけ
「お客様のために、社会のために」「社会に役立たない会社は成長しない」と、夏原さんは常に父親から教えこまれてきた。
現在、平和堂は水耕栽培の野菜づくりに力を入れているが、「天候に左右されない安心・安全な野菜を安定した価格でお客様に届けたい」「障害者の働く場を少しでも提供したい」という願いから始めたという。
あっというまにインタビューの終了時間が来てしまい、夏原社長は「まだまだお話したいことがいっぱいあったんですが……」と、穏やかな笑顔で見送ってくれた。
(取材・越智田)
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