久田工芸 代表 久田 泰平さん(東近江市在住・73歳)
道路脇でドライバーに飛び出し注意を呼びかける立て札「飛び出し坊や」。全国的に見ても滋賀県は設置数が多い。
それもそのはず、「飛び出し坊や」は40年前に滋賀県で生まれたものだからだ。生みの親は東近江市で看板製作業「久田工芸」を営む久田泰平(ひさだやすへい)さん。40年間変わらないデザインは、近年のキャラクターブームに乗って、新たな展開を見せている。
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道路脇でドライバーに飛び出し注意を呼びかける立て札「飛び出し坊や」。全国的に見ても滋賀県は設置数が多い。
それもそのはず、「飛び出し坊や」は40年前に滋賀県で生まれたものだからだ。生みの親は東近江市で看板製作業「久田工芸」を営む久田泰平(ひさだやすへい)さん。40年間変わらないデザインは、近年のキャラクターブームに乗って、新たな展開を見せている。
「飛び出し坊や」が生まれたのは40年前、「急増する子どもの飛び出し事故を防ぐ看板を作ってほしい」と旧八日市市の社会福祉協議会から依頼を受けたのがきっかけだった。
それまでにも飛び出し注意の看板や人形はあったが、陶器製の高価なものしかなく、もっと安価で目立つものを作ってほしいという注文だった。
子どものころから絵が好きだった久田さん。だが、どうデザインすれば良いか分からない。手さぐりの状態でカット図案集や漫画の描き方の本を参考に何種類も試作品を作り、直感で選んだのが「目が大きくて3等身ぐらいの男の子」の看板だった。久田さんはこれを気に入り、「とび太くん」と名付けた。
シンプルでインパクトがあるとび太くんは、滋賀県の日常的な風景の一部として親しまれていった。誕生のときと比べると、目が少し大きく口に丸みが出た以外は40年前と同じ顔のままだ。
「単なる普通の仕事として引き受けたに過ぎませんが、40年も人々から愛されるなんて……本当に、親孝行な息子です」
特に人気が出てきたのは3年前から。テレビ番組で「とび太くん」が飛び出し坊やの元祖として紹介され、メディアからの取材が多くなった。
それまでは学校やPTAからの注文がほとんどだったが、個人からも電話で注文が入るようになった。顔が注文主の似顔絵になっているオリジナルのとび太くんも作った。はるばる九州からとび太くんのファンが来店したこともある。
そして2013年には、40周年を記念してとび太くんの歌も作られた。
2014年に入って東急ハンズにとび太くんのコーナーができ、TシャツやiPhoneケース、カッティングシール、ストラップなど、さまざまなとび太くんグッズが登場した。
また、2013年3月にはとび太くんと他の看板を一堂に集めた企画展「飛び出し坊やとゆかいな仲間たち」を東近江市の能登川博物館で開催。多くの人が訪れ、会期延長や巡回展も行われた。
「本来の目的から離れ、キャラクターとしての人気が一人歩きしてビックリしています。しかし、とび太くんを通じてさまざまな人たちとのつながりがたくさんできたのはうれしいですね」
久田さんは、休みの日には県内の寺社などの風景を水彩画で描く。県内を北から南に一周して描き上げた風景画集「ぐるーっと琵琶湖ひと廻り」も出版した。九州、四国など全国各地に年3、4回はスケッチ旅行に出かける。
旅先でも、「看板」や「飛び出し人形」につい目が行ってしまう。これが新たなデザインのヒントになることもあるという。
老人福祉施設の前に飾る「飛び出しおばあさん」はその一例だそうだ。
飛び出し注意のとび太くんだが、いまや日本を飛び出し、インドやモロッコなど海外でも設置され、交通安全に一役買っているという。
(取材・鋒山)
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