井狩 吉雄さん(大津市在住・62歳)
20歳代、30歳代が中心の競輪選手の中、62歳まで現役最年長選手として活躍した井狩吉雄(いかりよしお)さん。58歳のときには競輪史上最年長優勝を達成した。38年間の選手生活は栄光と苦難の連続だった。
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20歳代、30歳代が中心の競輪選手の中、62歳まで現役最年長選手として活躍した井狩吉雄(いかりよしお)さん。58歳のときには競輪史上最年長優勝を達成した。38年間の選手生活は栄光と苦難の連続だった。
中学2年生のとき、びわ湖毎日マラソンに出場するアベベ選手を見ようと、友人数人と近江八幡から大津まで自転車で行った。帰り道に偶然立ち寄った大津びわこ競輪場で練習中の選手と話をすることができ、話が弾んで「レース用自転車に乗ってみないか」と誘われた。
レース用自転車は普通の自転車とは異なり、素人がいきなり乗れるものではない。
ところが友人たちは乗れなかったのに、井狩さんだけは競輪場のバンク(競走路)を1周してみんなを驚かせた。
風を切って走る爽快感、スピード、スリル……井狩さんはたちまち自転車のとりこになり、その後の人生を変えることになった。
中学生時代はハンドボール選手として県大会で優勝、駅伝ランナーとしても2位に入賞していた。普通ならハンドボールか陸上に進むことを考えるところだが、進学先に選んだのは自転車部のある八日市高校。大学も自転車に強い中京大学だった。
大学時代は「カナダ・ブリティッシュ・コロンビア3日間ロードレース」で日本人選手総合第1位、「全国地域対抗自転車競技選手権大会・ポイントレース」で優勝し、才能を一気に開花させた。
大学卒業後は競輪学校に入学。同期の松田隆文(まつだたかふみ)、中野浩一(なかのこういち)に次いで3位(84勝)で競輪学校を卒業し、「35期の三羽烏(さんばがらす)」の一人に数えられた。
デビュー戦は1975年5月15日。ホームバンクの大津びわこ競輪場で初勝利をあげ、その後の2日間も勝利し、デビュー戦で完全優勝を果たした。
小学5年生から中学3年生まで新聞配達や牛乳配達を続け、脚力には自信があった。しかし、長い現役生活で体は悲鳴を上げ、何度も鎖骨を骨折し、45歳のときには厳しい腰痛に悩まされた。
レースに出て勝たなければ収入は途絶える。現役続行を自らに課した。
毎日のランニングを欠かさず、自転車での走り込みは1日270㌔に及んだこともあるという。食事をしっかり食べ、レース後の鍼やマッサージを欠かさないなど、体調の管理にも気を配った。
しかし、現実は非情で、ついに終わりのときがやってきた。昨年9月、若い選手に混じって走っていたとき、ゴール前で酸欠状態になって転倒。それが原因で急性硬膜下血腫も発症した。家族から繰り返し説得されて引退を決意せざるを得なくなった。
今年の1月9日に選手登録抹消し、通算出走3043回、428勝(優勝19回)、38年間の選手生活に終止符を打った。特に最後の3年間は現役最年長選手の記録を更新し、有終の美を飾った。
現在は、立命館大学や中京大学の自転車競技部の指導をし、若手選手の育成に力を注いでいる。
「これからも自転車と共に生き抜いていきます。風を感じながら見知らぬ所に出掛け、行く先々で愛用のカメラで写真を撮る……。やめられません」
(取材・鋒山)
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