すずめの学校 代表 宮腰 悦子さん(長浜市在住)
「おはなしおばさん」の愛称で子どもたちに昔話や世界中のお話を伝え続けている児童文化活動グループ「すずめの学校」代表の宮腰悦子(みやこしえつこ)さん。おはなし会や紙芝居、人形劇などを通して子どもたちに「お話の世界」の楽しさを届ける活動は40年に及ぶ。夫の転勤で15年間滞在したアメリカでもおはなし会を続け、11年前からは活動の拠点を長浜市に。2014年10月、県内でのおはなし会が1000回を迎えた。
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「おはなしおばさん」の愛称で子どもたちに昔話や世界中のお話を伝え続けている児童文化活動グループ「すずめの学校」代表の宮腰悦子(みやこしえつこ)さん。おはなし会や紙芝居、人形劇などを通して子どもたちに「お話の世界」の楽しさを届ける活動は40年に及ぶ。夫の転勤で15年間滞在したアメリカでもおはなし会を続け、11年前からは活動の拠点を長浜市に。2014年10月、県内でのおはなし会が1000回を迎えた。
神戸市生まれの宮腰さんは第二次大戦中に3歳で信楽に疎開。叔父が住職を務める寺で18歳まで過ごした。 叔父は町内の子どもたちを本堂に集め、紙芝居をしてくれた。3歳のときに見た紙芝居の「壷坂霊験記(つぼさかれいげんき)」は今も印象に残っているという。当時はみんな貧しくいつも空腹だったが、お話や笑いで気を紛らわせていた。 「以前、おはなし会をしたときに、兄弟げんかをして険しい顔をしていた子どもが、紙芝居を始めたとたん身を乗り出し、真剣なまなざしになったことがありました。子どもを別世界へ誘い、心を解き放つ物語のすごさを感じました」
物語の世界を子どもたちへ伝え始めたのは40年前。千葉県船橋市に転居したが、住んでいる団地はほとんどがサラリーマンの核家族で、周囲にお年寄りは少なく、子育ての悩みを共有する場がなかった。 地域コミュニケーションの大切さを痛感した宮腰さんたちは、団地の集会室を借り、私設図書室「かしの木文庫」を仲間と共に設立した。本の購入資金はバザーで稼ぎ、本の貸し出しの他に、週に1回、おはなしや手作りの人形を使った劇、紙芝居などを行った。 夫の転勤で、アメリカ・ヒューストンとニューヨークに延べ15年間住んだが、ここでも在米日本人や現地の主婦たちと「NY児童文化の会」を結成し、おはなし会を続けた。
アメリカ滞在中の1980年、国際人形劇連盟(UNIMA・ウニマ)のアメリカ大会に参加したことが縁で、帰国後の84年からウニマ日本センターの手伝いを始めた。 88年には世界大会が日本で開催されることになり、書記を任されて財政や運営に携わった。 「子育ての真っ最中でしたが、たくさんの仲間が支えてくれて大会は無事に終了しました。だから、その感謝を忘れず、この世界で恩返しをしていこうと決心しました」
11年前に長浜市に転居。「すずめの学校」をスタートさせた。 県民共済サービスの事業の一環で、県内保育園や幼稚園、公共施設などでおはなし会をして回るのもそのうちの大きな仕事だ。 「小さな子たちの真剣なまなざしや、たくさんの幸せをもらいました。同じ目線で愛情を持って接すると、赤ちゃんでも気持ちが通じ合います。『あなたが好きよ』とほほえみ合うのです。今まで巡回先の園で会った男の子たちから3回もプロポーズされたんですよ」とにっこり。 途中、病気で入院したこともあるが、仲間に助けられながら2014年10月、公演は通算1000回を達成。記念公演の会場となった長浜市・安浄寺は満員の大盛況となった。 「安浄寺の本堂が、昔の疎開先の本堂と重なりました。これからも滋賀の子どもたちへ好奇心の種をまき続けたいです」 (取材・鋒山)
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