国境炭焼オヤジの会 会長 古本 勇義さん(高島市在住・78歳)
過疎化や高齢化の危機にひんした山村を再興したい。そんな思いから父が残した炭焼き窯を半世紀ぶりに復活させた人がいる。高島市の古本勇義(ふるもとゆうぎ)さんだ。仲間たちと焼いた炭を地元の特産品として売り出し、静かな評判を呼んでいる。
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過疎化や高齢化の危機にひんした山村を再興したい。そんな思いから父が残した炭焼き窯を半世紀ぶりに復活させた人がいる。高島市の古本勇義(ふるもとゆうぎ)さんだ。仲間たちと焼いた炭を地元の特産品として売り出し、静かな評判を呼んでいる。
高島市マキノ町野口地区は33世帯70人。65歳以上の高齢者が60㌫を超える典型的な限界集落だ。 1950年代前半まではほとんどの農家に炭焼きの窯があり、木炭の生産で生計を立てていた。しかし、時代と共に木炭の需要が減り、50年ほど前に全ての窯が廃れてしまった。同時に間伐されずに放置されて山林は荒廃し、木が枯れて葉が赤くなる「ナラ枯れ」が発生。追い打ちをかけるようにサル、シカ、クマなどの野生動物が増え、山は荒れ放題になった。
2010年春、当時区長だった古本さんは高島市から過疎化、高齢化が進む集落の活性化について相談を持ち掛けられた。 前々から集落の活力を取り戻したいと思っていた古本さん。地域の人たちと話し合い「地域の魅力や資源を生かし、住民の気持ちを一つにできるのは炭焼きの復活しかない」と確信した。 炭焼き経験のあるお年寄りや地元有志に知恵を借り、窯を1カ月かけて使えるようにした。炭焼きの経験者は古本さんを含めてわずか5人。50年前の記憶を思い起こしながら懸命に焼いた。 焼き上がった炭は重さにして約500㌔㌘。恐る恐る窯出しをしてみると、立派な炭に仕上がっていた。 「やった!」 みんなで手を取り合い歓声を上げた。炭は「ふるさと野口の人たちの夢を乗せる炭」との思いを込めて「夢炭(むーたん)」と名付けた。 手応えを感じた仲間たちは、古本さんを会長とする「国境(くにざかい)炭焼オヤジの会」を結成し、炭の本格的な生産、販売に乗り出した。
炭焼きを始めてから地域が変わり始めた。28人でスタートした会員も、70人に増加。オヤジの会といっても半数が女性で、最近は地区外からも問い合わせがあるという。 年7~8回の炭焼きや関連商品の開発、道の駅での販売など、「みんなで集まってワイワイ楽しむこと」が目的だ。 販売所の一つ、集落に近い国道161号沿いの道の駅「マキノ追坂(おっさか)峠」では、春と秋の土・日曜日と祝日に会員が直接販売している。 炭は「火力が強く煙も少ない」と好評で、毎回完売。炭粉で作った姉妹品「夢炭せっけん」や竹炭、さらに地元の「滋賀羽二重餅米」で作った餅なども実演販売している。 くり返し買い求める客も多く、県外からも大口の引き合いが舞い込んでいる。 「住民がお客さんと親しく会話しながら交流を深めている姿を見ると、地区に明るさと活気が戻ってきたようで、うれしくて仕方がありません。近ごろは、地元小学校から炭焼き体験学習の申し込みが増えてきています。将来、子どもたちが炭焼き技術を伝承してくれたら、これに勝る喜びはないですね」 (取材・高山)
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