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ヴァイオリン修復にかけた30年!-蘇る音色に至福の喜び-
【 アーカイブ 2017年9月取材 】

掲載日: 2024.12.23

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堤 邦之さん (大津市在住)

ヴァイオリンの修復に長年携わってきた堤 邦之(つつみ くにゆき)さん。「東京ヴァイオリン製作学校」の2期生として5年間修行した後、楽器店のスタッフとして22年間弦楽器の修理に携わり、10年前に独立。思い入れのある古い楽器を蘇らせることに人生をかけ、充実した人生を送っている。

東京ヴァイオリン製作学校との出合い

「東京ヴァイオリン製作学校」の存在を知ったのはNHKの番組だった。このとき堤さんは20歳。同校は1979年、ヴァイオリン製作家の無量塔 蔵六(むらた ぞうろく)氏が弦楽器製作作家を育てるために創った学校だった。テレビ番組で1期生が楽しそうに勉強している姿を見て堤さんは心を揺さぶられ、翌年2期生として入学。堤さんは中学校までピアノを習っていたが、ヴァイオリンを弾いたことはなかった。先輩も同期生も音楽とモノづくりが好きな人ばかりで、何もかもが新鮮で楽しかった。

学業の手始めは「道具作り」…楽器の寸法を微調整するのに使う2cm~5cmぐらいの鉋(かんな)を手作りした。鉋の様式はもちろん西洋式。日本の鉋が「引いて削る」のに対して、西洋式の鉋は「押して削る」ので戸惑った。しかし、そのうち慣れて来て、どんどん削れるようになると楽しく、つい削り過ぎてしまう事も多かったようだ。一方、ヴァイオリンの演奏も最初は弾けなかったが、毎日練習していくうちにだんだん弾けるようになり、年一回の演奏会が楽しみになってきたと言う。

学校の始業は8時から…午前中はヴァイオリン製作。製作は午後も許されたが、コンサートや美術館に出かけ、幅広く芸術に親しむことも奨励された。指導者の無量塔さんはドイツで修行を積んできた人で、ヨーロッパの日常生活に音楽が溶け込んでいることの素晴らしさや楽しさを教えてくれた。

弦楽器作業場「Werkstatt der Hobel」を設立

5年間の勉学のあと1985年2月に卒業。京都三条の楽器店「JEUGIA(ジュージヤ)」に就職し、弦楽器の修理に携わると同時に楽器販売も経験。22年半勤めた後、2007年10月に独立し「弦楽器作業場 Werkstatt der Hobel」を立ち上げた。名前の「Werkstatt(ベルクシュタット)」は「作業場」を意味し、「Hobel(ホーベル)」は弦楽器を製作する際に使用する鉋(かんな)を意味するとのこと。学業時代に4個自作した鉋を今も使っていると言う。
「独立当初は宣伝していませんでしたので、JEUGIAさんからの仕事やなじみのお客さんからの仕事ばかりでしたが、徐々に口コミで仕事が増えてきました。修理は弓の張り替えのほか、指板がはがれたり表板が割れたものなど…さまざま。ヴァイオリンはうまく修理すればいつまでも使える楽器です。音が大事なことは勿論ですが、出来るだけ修理の痕跡が分からないようにするのも腕の見せどころです」

 

80年間眠っていた 古いヴァイオリンが蘇(よみがえ)る!

最近、80年程前の古いヴァイオリンが作業場に持ち込まれた。少しぐらい状態が悪くても修理を断ることはしない。
「ヴァイオリンはYさんが古い家を改築されている時に蔵から見つかったもので、Yさんの義父(奥さんのお父さん)が学生時代に使われていたものらしく、貴重な『思い出の楽器』でした。修復後Yさんは知り合いの音楽家に演奏をしてもらわれ、『ヴァイオリンの音色の中から、義父の姿が蘇って来る思いがして、家内と家内の母共々、涙ながらに聴かせてもらいました』と言っておられました。特に、Yさんの奥様は生後10カ月でお父様と死別されていますので、ヴァイオリンの音色がお父様の声に聴こえて来たのかも知れませんねえ…このような楽器を蘇らせるお手伝いが出来て感動しました。
作業場の窓からは、琵琶湖や昔ながらの路面電車を見る事ができて癒されます。気軽に立ち寄って頂ける楽器の修理作業場として、これからも頑張りますのでどうぞよろしく…」 (取材:鋒山)

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